小古城遺跡、商代考古學(xué)で重要成果
ソース:新華社作者: 2024-01-09 16:05
2023年12月30日、小古城遺跡で商代の水門(mén)遺構(gòu)を検証する専門(mén)家ら。(杭州=新華社記者/馮源)
中國(guó)浙江省杭州市余杭區(qū)の小古城遺跡で実施された発掘調(diào)査で、商(殷)代に屬する一連の重要遺構(gòu)が見(jiàn)つかった。浙江省における商代考古學(xué)の重要成果であり、同市で2023年12月31日まで3日間開(kāi)かれた同遺跡の學(xué)術(shù)シンポジウムで発表された。
浙江省文物考古研究所小古城発掘プロジェクトの責(zé)任者、羅汝鵬(ら?じょほう)研究員はシンポジウムで、小古城遺跡は1980年代に発見(jiàn)され、2004年以降に同研究所が実施した発掘調(diào)査で多くの成果が得られたと説明した。
同研究院の発掘調(diào)査では、遺跡の湖西発掘エリアで配置が複雑ながら統(tǒng)一的に計(jì)畫(huà)された商代の院落式(中庭型)建築群を発見(jiàn)したほか、廟山発掘エリアの廟山山頂で極めて特殊な建築技術(shù)を用いた人工の堆築土壇を確認(rèn)した。土壇の面積は1800平方メートルを超え、高さは8~12メートル。東西南北の方位に正確に築かれ、異なる色の土で幾層にも突き固めた版築(はんちく)の跡も見(jiàn)られた。土壇の上部と下部にそれぞれ建築遺構(gòu)があり、中でも上部の建築は特殊な機(jī)能的意義を明らかに備えていた。北城壁の発掘エリアでは保存狀態(tài)の良い商代の水門(mén)遺構(gòu)を発見(jiàn)。幅は2?5~3メートルで明確な構(gòu)造を持ち、多くの木製建築部材が確認(rèn)された。
2023年12月30日、小古城遺跡の廟山発掘エリアで見(jiàn)つかった商代の人工高臺(tái)。(杭州=新華社記者/馮源)
シンポジウムの実地検証に參加した中國(guó)水利學(xué)會(huì)や北京大學(xué)、広州市文物考古研究院、良渚博物院などの専門(mén)家は、湖西院落と廟山の2カ所の遺構(gòu)の複雑な構(gòu)造は浙江地區(qū)の商代考古學(xué)の重要性に対する學(xué)術(shù)界の認(rèn)識(shí)を新たにしたと指摘。特に廟山の人工土壇は格式が高く、儀禮や祭祀(さいし)、天體観測(cè)の機(jī)能を持っていた可能性があるとの見(jiàn)方を示した。水門(mén)遺構(gòu)の構(gòu)造については、工學(xué)的原理と一致しており、水田への引水や洪水防止、航行など多くの機(jī)能を備えていた可能性があるとし、広東省広州市の南越國(guó)大型木造水門(mén)遺構(gòu)より千年以上古いとの認(rèn)識(shí)を示した。
小古城遺跡は7千年前の新石器時(shí)代?馬家浜文化期から人が居住し、その後の崧沢(すうたく)、良渚、広富林各文化でも使用された。主要な文化堆積は馬橋文化期と後馬橋文化期に形成され、中原の夏代末期から商代に相當(dāng)する。近年の考古學(xué)的成果は3300~3000年前の商代後期に集中している。
羅氏は、小古城遺跡がある天目山脈東麓には夏商時(shí)代の遺跡が多く発見(jiàn)されていると説明。近年の考古學(xué)的発見(jiàn)は、浙江地區(qū)の人々が中原との交流を通じて商代までに新たな発展期に入り、越國(guó)の発展の基礎(chǔ)を築いたことを証明していると語(yǔ)った。
2023年12月30日、小古城遺跡で商代の水門(mén)遺構(gòu)を検証する専門(mén)家ら。(杭州=新華社記者/馮源)
編集:董麗娜
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